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月1000万円稼ぐテレクラ経営から人気美容師に転身~人生から逃げまくって手にした天職。濱宏之介さん

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表参道・南青山に自分の店を持ち、
有名女優や有名モデルのお客さんもいるという、
人気美容師・濱宏之介さん(48歳)。
アメリカでの美容留学修行経験もあると聞けば、
さぞ、昔から美容師になりたくて、
地道な努力をし、順風満帆に階段を駆け上がり、
夢を手にした人だと思いがちだ。
私もそう思っていた。

ところが話を聞いてびっくり!
今まで人生から逃げることばかり考え、
以前はテレクラを経営して荒稼ぎしていたこともあったという。

目の前のことから逃げてばかりの濱さんが、
どうして人気美容師になれたのか。
濱さんの人生を読めば、人生から逃げていても、
どこかで自分の人生の方向性の間違いに気が付けば、
ダメダメ人生から素敵な人生になれると思ってもらえるのではないか。
(取材日:2014年6月27日)

1:大学中退。テレクラ経営で高級車を乗り回すバブル時代の“与沢翼”
高校生まで兵庫県西宮市で暮らした濱さん。
親がスパルタ教育で嫌気がさし、学校もろくに行かず、
髪は真っ赤で不良じみたことをしていた。
「母親が町で会っても目をそむけて隠れてしまうぐらい、
ひどい格好をしていた」と濱さんはいう。

親から離れたい。西宮から離れたい。
その一心で東京の大学に入学。
しかしバカらしくなってわずか2週間で辞めてしまったという。
親からは大学を勝手に中退し、勘当ものだったという。

もう実家には帰れない。
東京で生活しなくてはならない。
「女の子にモテる仕事がいい」。
そんな安易な気持ちで表参道の美容室に見習いとして入った。

濱さんは要領がよかったため、
見習いの中で上達が早かった。
しかし美容師への情熱があるわけでもプロ意識があるわけでもなく、
ただただ手先が器用というだけで上達しただけ。
はじめはそれでもよかったが、
何年か経つうちに、どんどん他の美容師たちに追いつかれていく。
「自分は美容師という仕事に対して哲学もなければ信念もない。
このままいたら、どんどん他のやつらに追い越されていく」
それがイヤで美容室をやめた。
ここで勝負せず、目の前のことから逃げたのだ。

髪を切るだけでなくヘアメイクもできればと思い、
有名ヘアメイクアップアーティストに弟子入りした。
しかしアシスタントとしてもらえるのは月給5万円。
これでは暮らしていけない。
お金が稼げる夜のバイトをするようになった。

しかしバイトをしてもお金はたまらない。
もともと遊び好きで毎晩遊び歩いていた。
「普通にアルバイトをしてもお金は稼げない。
手っ取り早く大金稼げる方法はないだろうか」
そこで思いついたのが、テレフォンセックスだ。

時代はまだインターネットも携帯電話も普及していない時代。
23歳の濱さんは自宅に固定電話の回線を5台ひき、
遊び仲間のギャルたちを集めて、バイト料を払うからといって、
電話口でいやらしい会話をしてお金をとるテレフォンセックス業を始めた。

10分話すと2000円。
しかしネットもない時代、宣伝に苦戦し、
はじめは月に10万~15万円ぐらいしか稼げない。
女の子にバイト料を払ったら濱さんの手元には何も残らなかった。

しかし転機が訪れる。
知り合いにエロ本雑誌の編集者がいて、ぜひ取材して記事を載せたいとの話に。
この記事が掲載されるや否や、日本全国から電話がかかってきて、
5台の電話は鳴りっぱなし。
大盛況となり、1日に粗利で約30万円、1年で約1億円もの大金を稼ぎだした。

月給5万円のヘアメイクのアシスタントはもちろん辞めた。
テレクラでこんなに稼げるのだからバカらしくてやってられない。
23歳で手にしたあぶく銭。
ポルシェをはじめ高級車を乗り回し、高級時計を何本も身に付け、
女の子をはべらし、金目的で寄ってくる人たちと、毎晩遊び歩く日々。
今でたとえるなら“与沢翼”状態だった。

2:テレクラ減収し、逃げるようにアメリカへ
しかし濱さんのテレクラバブルはそう長くは続かなかった。
ダイヤルQ2という新しいサービスが登場するも、
思いつきで始めたテレクラ事業ゆえ、
こうした新しいサービスにキャッチアップできず、売上は急減。
テレクラで稼げなくなってしまったのだ。

あぶく銭を稼いで羽振りの良い経験を味わってしまった人間は弱い。
今さら美容師やヘアメイクに戻ることもバカらしくてできない。
あれだけ大いばりででかい顔していたのに、
金がなくなればどんどん人は去っていく。
もうこんなみじめな状態で日本にはいられない。
そうだ、アメリカに行こうと、思いつきでまたしても逃げる選択肢をした。

24歳の時に、ポルシェと高級時計を売って、
500万円の貯金をもとにロサンゼルスへ。
英語もろくに話せず、トラベル英会話本を見て、
1日3つ文章を丸暗記していたりもした。
貯金があるので働く気はせず、ロスで遊びまくっていた。

しかし1年もするといよいよお金が尽きてきた。
働かなくてはならない。
でも何をしよう?
皿洗いや掃除のアルバイトをしてみたものの、
今さらこんな仕事なんかできない。
その時、思った。
そうだ、美容師として働こうと。

どうせ働くなら有名サロンで。
そう思い、ビバリーヒルズにある、
超有名サロンのオーディションを受けにいった。
日本での美容師経験はわずかだったが、
濱さんはいくつも賞をとっていたりもした。
「賞をとるなんて簡単。
主催者が何を求めているかを分析し、それをやればいいだけ」

ビバリーヒルズの有名サロンのオーディションもそれで臨んだ。
オーディションを受けている他の人間より、
自分ははるかにうまいという自信があった。
何より日本人は外国人に比べて細かい作業や技術がうまい。
しかし落選した。

納得がいかなかった。
他の奴らより絶対にうまいはず。
そこで濱さんは思った。
「落選したのは日本人だからと人種差別しているからじゃないか。
相手がそんな嫌がらせするなら、オーディションを受け続けてやろうじゃないか」
そんな思いで何度もサロンのオーディションを受けるように。

6回目のオーディションが終わった時のこと。
何度も何度も来る濱さんを不審に思った店の人が声をかけた。
「なぜ、あなたは何度もオーディションを受けにくるのか」
「この店で働きたいからです」
「でもなぜ君が何度も落選しているか、理由はわかるかい?」
濱さんは堂々と答えた。
「人種差別してるだけでしょ」

店の人は大笑いした。
「人種差別?冗談じゃない。
君がなぜ落選するのか教えてあげよう。
君は確かに技術はうまい。
でもはっきりいって小手先の技術でみえみえすぎる。
そして何より君にはまったくオリジナリティがない。
猿まねして少しうまいぐらいじゃこの仕事は務まらない」

濱さんはこの言葉にショックを受けた。
今まで小手先の器用さだけで人生を乗り切ってきた。
でもその浅はかさを見事に見抜かれ、ズバリ指摘されたのだ。

こうなったら何としても受かってやる。
次に受けたオーディションでは、
主催者のことを考えて受かりやすいようなカットではなく、
自分が表現したいカットをした。
すると今まで落選していたのがウソのように合格し、
ビバリーヒルズの有名サロンで仕事ができるようになった。

3:美容師の仕事のおもしろさに目覚め、日本に“凱旋”帰国
そこのサロンには超お金持ちのセレブや、スーパーモデルなども頻繁に来る。
そこで濱さんははじめて美容師の仕事のおもしろさ、やりがいを知った。

「今までは自分が女の子にモテるためにとか、
小手先の技術でコンテストの主催者に受けるカットができればとか、
自分がかっこつけるためだけのカットをしていました。
でもここで気づかされました。
カットすることは、お客さんに小さな幸せを提供する仕事だと。
お客さんが喜んでもらうために、
お客さんが望む姿、美しい姿にするために、
お客さんの心を察知して、自分の技術で表現する。
それがプロの美容師としての仕事ではないかと」

アメリカのお客さんは日本と違ってはっきり評価を下す。
ダメならダメ。いいならいい。
「お客さんに気に入ってもらえるとものすごい評価をしてくれる。
それが何より喜びでした」

そこで約2年半、働いた後、
どうせやるならアメリカ一を目指したいと考え、
ニューヨークの有名サロンの人に連絡をとり、
話にいくと、なんと店で働けることに。
27歳にしてニューヨークの店に移った。

テレクラ事業失敗でアメリカに逃げたはずが、
アメリカで気づかされた美容師の仕事のおもしろさ。
これぞ天職との思いで、アメリカ永住も考えていた。

そんな矢先に、日本の大手エステ会社から突然のオファー。
映画でのヘアメイクの監修をしてほしいとの依頼だった。
すっかり日本のことは忘れていた。
アメリカの有名店で活躍する日本人美容師がいるという話を、
どこからで聞きつけてきたのかもしれない。

迷ったが、オファーを受けることにした。
ギャラが破格によかったことが一番の理由だったというが、
日本に戻りたいという気持ちもどこかであったからだった。

4:日本で表参道に店をオープン!
無料でヘアメイク・撮影する日本美人化計画
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映画がきっかけで有名女優やモデルさんの仕事も増えた。
表参道の大きなサロンを任されたこともあった。
40歳・2007年からは独立し、表参道に自分の店をオープン。
2013年に現在のお店「ma/4」をオープンした。

今、濱さんがやるべきことはとてもシンプル。
日本人の女性をビューティーのプロとして美しくすること。
ただそれだけだ。

しかし濱さんはこんな思いも抱いている。
「せっかく魅力ある女性なのに、その良さを引き出せていない」。
そこで濱さんが始めたのが「美人化計画」だ。
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なんと濱さんが無料で、ヘアメイクをしてくれて写真を撮ってくれるというものだ。

「せっかく魅力ある女性なのに、自分の顔のことがわかっていない。
自分の仕草や容姿のことをわかっていない。
魅力があることがわかっていない。
とってももったいないと思うのです。
だから魅力を引き出すメイクと、客観視できる写真で、
まずは自分の魅力を知ってほしい。そんな思いで始めました」
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希望者は濱さんに連絡すれば無料でやってくれるというのも驚きだ。
「これは仕事とは別なので無料でやっています。
もちろん美人化計画に参加してくれれば、
その人がファンになってお店を利用してくれるかも、
宣伝になるかもという狙いもありますが」

これだけの実績を誇っていながら、
無料で実績作りの活動をする素晴らしさ。

「私はずっと目の前のことから逃げてきた。
でも天職に出会えたのは、立ち止まらなかったからだと思います。
だから多くの人に言いたい。
逃げてもいい。
でも立ち止まるのだけはやめた方がいい。
前に進めなくても、逃げて後ろに戻っても、
そこに新たなチャンスがあったりする。
そのチャンスをつかむかどうかは自分次第」

水は流れるから腐らない。
でも流れなくなった途端、水は腐る。
人間もそれと同じ。
逃げても動いていれば、人間は腐らないが、
何も行動しなければ、どんどん腐っていく。

テレクラで荒稼ぎした過去も平然と明かす濱さん。
「別に事実ですから。隠したところで仕方がないですし、
それを聞いてイヤだなと思う人は仕方がない。
でも今はプロとしてビューティーの仕事にまい進しています」

テレクラで荒稼ぎして、高級車を乗り回し、
女の子をはべらし、遊び回っていた人が、
今は女優やモデルのカットやヘアメイクを担当し、
表参道に店を構えるまでになったという事実。

人生あきらめるのは早い。
逃げてもいいから動くこと。
動いていればきっと自分の天職が見つかるはず。

・お店のホームページ
http://ma-4.com/

美人化計画フェイスブックページ

・濱さんのフェイスブック
https://www.facebook.com/kounosuke.hama

・美人化計画の取材もしました!
モデルになった愛情料理研究家・土岐協子さんの紹介ブログ
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by kasakoblog | 2014-06-27 17:01 | 生き方

好きを仕事にするセルフブランディング&ブログ術を教えるかさこ塾主宰。撮影と執筆をこなすカメラマン&ライター。個人活動紹介冊子=セルフマガジン編集者。心に残るメッセージソングライター。


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