カーディーラーから健康食品社長を経て、今は約80人しかいない講談師として活躍!神田山緑さんインタビュー
2014年 11月 19日
どこにでもいる普通のサラリーマンが、日本で約80人しかいない講談師に転身し、
しかも食えない講談師が多い中、今は講談師だけで食べているというすごい人がいる。
神田山緑さん(38歳)だ。
異色の経歴の変遷とともに、どのように仕事をしているのか話を聞いた。
(取材日:2014年11月18日)
1:親の親友の子供の死で人生見つめ直し、
カーディーラーをやめ、親の事業を手伝うことに
小・中・高校は野球少年。
大学時代は毎日のようにクラブで遊び歩く生活。
就活は就職氷河期で厳しい時代だったが、
面接に行くまでの移動中の電車の中で大あわてで履歴書を書き、
面接を受けたトヨタ自動車の販売店の社長に誤字を指摘されたものの、
素直に間違えましたと謝ったら即その場で「採用!」ということになり、
自動車販売店に入社が決まった。
なぜか入社2ヵ月目で4台も車を売るという快挙を成し遂げるも、
「生意気な新人だ」と店長から目をつけられ、
ショールームに入れてくれないという嫌がらせを受けることに。
仕方がないので一軒一軒ピンポン営業。
水をかけられたこともあったが、1日100~200軒、まじめに回ったので営業成績はよく、
トヨタ新人賞を受賞する活躍ぶりだった。
しかし転機が訪れたのは入社してから2年が過ぎた頃。
父親の親友の子供がビル火災に巻き込まれて突然亡くなった。
父親はそれを見て他人事とは思えなくなった。
事業をしていた父親が廃人のようにショックを受けているのを見て、
神田さんは思った。
「このまま一生、車を売っていても仕方がない。
父親の助けとなるべく父の事業を手伝おう。
いずれ独立もしたいし」と自動車販売店をやめることにした。
2:健康食品ブームで会社は順調も、
取引先の倒産した社長を見て社長をやめる
父親の事業を手伝っていたが、新規事業で健康商品を取り扱うことになり、
分社化して、新会社の社長に。
神田さんが25歳のこと。社員は4人。
ちょうどその時、健康食品が大ブームに。
がん予防に効くという宣伝文句のアガリクスを取り扱い事業は順調だった。
しかし取引先の会社の一つが倒産した。
神田さんの会社に実害はなかったものの、
今まで神田さんが若いということもあり、
横柄な態度をとっていたその会社の社長が態度を一変し、
神田さんに「会社を買ってくれないか」と土下座をしたという。
「こうも人間は変わるものなのか・・・」
今までいばっていた社長が事業につまづいたら、土下座までしてしまう。
その時、神田さんは思った。
これは、明日はわが身の姿なのではないかと。
事業は順調だったが忙しさなどからストレスがたまり、
血尿や血便が出るほど健康状態は悪化していた。
そんな社長の状態を察知したのか、社員はあっという間に辞めていった。
「もうこのまま仕事を続けていくのは無理」
そう思って事業を辞めることにした。
3:講談に感激!4度断られて弟子入り。3年は食えずバイト生活
神田さんが27~28歳の頃。
若くして社長になり、様々な会社と交渉しなければならない場面が多く、
でももともと話が上手ではなかったので、話し方教室に通っていた。
そこの先生が講談に連れていってくれた。
講談は落語とは違う。
独特のしゃべり口調と小道具を使って、
歴史などの話をリズミカルに話していく芸だ。
講談を聞いた神田さんは感動した。
「まるで言葉を聞いていると映画を見ているかのように、
次々と情景が浮かんでくる。
その見事な芸に感激のあまり涙が出てきた」
そこで講談に興味を持ち、講談教室に通うことに。
教室でレッスンした後、友人と居酒屋に行ってビールを飲んだところ、
格別にうまかったという。
「こんなうまいビールを飲んだのははじめて!」
事業は順調でも心配事や不安なことが多い健康食品事業では、
味わうことのできなかった「仕事」終わりの爽快感。
「講談なら一人でできる。これは十分ビジネスにもなる。講談師になろう」と決意。
師匠からは4度、弟子入りを断られたが、
めげずに志願した結果、5度目で弟子入り。
神田さんが29歳、2005年のことだった。
しかしすぐに講談だけで食べれるわけではない。
落語家は人気もありメジャーで800~1000人いるとも言われているが、
講談はわずか80人あまりしかおらず、メジャーではないため、
食えない人も多いという。
しかも講談の世界は完全な縦社会。
上の言うことはどんな理不尽なことでも絶対に言うことを聞かねばならない。
階級が3つあり、はじめは「前座」からスタートし、
6~7年目で「二つ目」、14~15年目で「真打」となる。
厳しい世界にもかかわらず、バイトをしながら師匠の言うことをよく聞き、
神田さんはわずか3年で「二つ目」に昇進。
昇進しただけでなく、3年目ぐらいからバイトもせず、
講談だけで食べていけるようになったという。
4:ビジネス経験があるから講談だけでも食べていける
「真打」になっても食えない講談師がいるにもかかわらず、
神田さんがわずか3年で講談だけで食べれるようになったのはなぜなのか。
「講談は何も講演を聞きに来てもらうだけでなく、
いろんな場面で活用ができます。
例えば、入門したての頃は、結婚式で両人のなれそめを、
講談風に語るという仕事をして稼いでました。
こういう場面でも講談は使えるんです」
日本の歴史物を語るのが一般的だが、例えば企業の依頼に応じて、
企業の歴史や創業の物語を講談風の作品に作り上げ、
企業の社内研修に活かすこともできる。
講演だけでなく、依頼に基づく作品づくりや研修分野にも手を広げていることが、
講談だけで食べられる大きな要因になっている。
「また何よりも講談を習いたいという人が多く、
教室事業は単発の講演とは違い、固定収入が得られるので助かってます」
と神田さんは話す。
私も以前に書いたが、写真家でも音楽家でも作品を売ることより、
人に教えることの方がビジネスになる可能性が高い。
そうした視点を講談に持ち込んでいるからこそ、
神田さんは若くして講談だけで食べていけるのだ。
「今までサラリーマンをしていたり、営業をしたり、
社長をやっていたビジネス経験があるので、
ビジネス感覚を持ち合わせているので、
講談だけでも食べていけるようになった」
最近では地域の話を講談にアレンジし、話をすると、
地域活性化にもつながるので、こうした講談も各地で積極的に行っている。
地元、中野では、区の観光大使に就任したりもしている。
「講談はいろんな場面で活用できるはず。
講談師でも食えることを自分が証明し、
講談師の成功モデルになることで、講談師を目指す人も増え、
増えれば業界全体も活性化し、講談をもっとメジャーにして、
多くの人に講談の良さを知ってほしい」
こうした昔ながらの芸事って小さな時からやっていないと、
ダメなのかと思いきや、神田さんのように、
普通のサラリーマンから転身して成功している人もいる。
いや、むしろビジネス経験がある異色の経歴があるからこそ、
講談をうまく仕事にすることができ、
永続的な活動に転化できているのかもしれない。
「講談が仕事にならなければ後輩は育たないし業界は尻つぼみしてしまう」
元サラリーマンだからこそ、元社長だったからこそできる、
講談の新しいあり方を模索しながら、
神田さんは講談を活用して活動の幅を広げていっている。
・講談って何?という方は、神田さんの講談動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=8Ul9GStfXv8
・神田さんのブログ
http://ameblo.jp/sanryoku/
・神田さんはフェイスブックもやってます
https://www.facebook.com/sanryoku36
・おもしろい人・生き方・働き方インタビュー
http://www.kasako.com/life1.html
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