聖者も愚者もなく、ただ人生の階段を歩いていくということ
2018年 01月 30日
聖人も罪人も普通の人も
ただ同じこの世に生きる人間として
人生という名の階段を歩いていく。
マレーシア・クアラルンプールの
ヒンズー教寺院、バトゥ洞窟。
寺院に赴くため272段の階段を
いろんな人たちが昇っていく。
単なる観光客もいれば
熱心な教徒の人もいる。
巨大な飾り枠を抱えた「教徒」は
重い飾り枠を背負い
272段の階段を昇っていった後
その「苦行」を完遂することで
まるで「聖者」になったかのように
人々に「祝福」を与えていく。
誰が聖者で、誰が愚者なのか。
愚者は聖者になり、聖者は愚者になる。
聖者も愚者もなく
誰もが272段の階段という名の
「苦行」を行うことで
己に内蔵された欲望を管理する術を身につけ
フィクショナルな存在の「神」の前で
祈りという名の誓いを捧げることで
他者に迷惑をかけず
社会に調和する一員として認められるのだ。
人は誰もが欲望を持って生まれてきて
放っておけばその欲望は肥大化し
社会全体の調和を乱してしまう。
神とは宗教とは法とは
すべて動物である人間の欲望を
抑えるために作られたものだ。
ただ人為的な匂いが強い法よりも
神や宗教がある種の絶対的な
抑止力を持ちうるのは
人為的な臭さを消して
人間を超越した「神」がさも
存在するかのように見せているからだ。
人や法にひざまづかなかったとしても
「神」なら人はひざまづく。
どこにもない作り物である「神」を
信じさせ、神格化するために
荘厳な建物を建築したり
洞窟寺院のような畏怖する
自然の造形物を利用し
「苦行」という名の「儀式」を
演出することで
一人ひとりの人間が
一人ひとりの欲望を
抑える仕組みを作り上げているのだ。
欲望は悪なのではない。
欲望こそが生命力であり
子孫を後世に残していくための
原動力でもあり
社会が発展する力にもなる。
ただ欲望を抑制する「装置」がないと
他者と他者との欲望の違いが
調整できなくなるからこそ
「神」や「宗教」や「苦行」や「儀式」が
必要とされるのだ。
だから。
聖者も愚者もなく
ただ272段の階段という名の苦行をさせ
自然の神秘が作り上げた洞窟という
「神の場」に魅せられ
なんでもいいからカミサマらしくものを
そこにおいておけば
人は欲望を抑えて
社会に調和することを誓うのだ。
聖者も愚者もなく
ただ神に祈るということ。
ただ神に誓うということ。
カミサマはなんでもいい。
自分の欲望をコントロールする
ことさえできれば。
聖者も愚者もなく
ただ人生という名の階段を
人は、人々は、今日も歩いていく。
・バトゥ洞窟写真
http://kasakoblog.exblog.jp/26819601/
・さよならカミサマ
https://www.youtube.com/watch?v=2PSW7MytoL4
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