小さな漁村の奇跡の復活劇~徳島県・伊座利地区
2009年 03月 25日
三方を山に囲まれ、“陸の孤島”と呼ばれた、
人口約120人の小さな漁村・徳島県の伊座利地区。
時代の流れとともに過疎化が進み、
学校が廃校の危機を迎えながらも、
住民の活動により、人口が増え、
小中学生も10人から20人以上に倍増を遂げた。
なぜ過疎漁村が復活したのか。
漁師さんや地元住民の人たちの取材から、
伊座利のキセキの謎に迫る。
※この取材レポートは、単に廃れた自治体だけでなく、
なんでもかんでも政治が悪い、行政が悪いという国民や、
夢をあきらめてしまい、
つまらない現実生活を送っている人たちにも、
参考になる内容になっていると思います。
<構成>
1:行政頼みではなく、自主的自発的な活動
2:移住ではなく“漁村留学”の推進
3:地域の持続的維持が主であり発展が目的ではない
4:都市と田舎をつなぐもの
●1:行政頼みではなく、自主的自発的な活動
「行政に見捨てられた時は腹が立ちましたよ。
でも今、見捨ててくれたことに感謝しているんです。
そうでなければ、今の伊座利の復活劇はなかったんですから」
(推進協議会の中心的メンバー、富田のおっちゃん)
かつては400人の住民がいた伊座利は、徐々に人口が減り、
ついには100人を切るところまで、過疎化が進んだ。
行ってみてわかったが、過疎化して当然の地区といえる。
離島ではないものの、周囲からは隔絶された孤島。
隣町に行くには山を越え、車で1時間は走らなくてはならない。
集落には商店が1つだけ。
まさに“陸の孤島”で、
ここから“脱出”する人がいても当然といえる、
極めて不便な場所だ。
人口減と同時に町の高齢化率(65歳以上の人口の割合)も進み、
1994年で高齢化率は44%に達した。
2人に1人は65歳以上の老人という状況だ。
高齢化率が50%を超えると限界集落と呼ばれる。
地域コミュニティの消滅危機だ。
小中学生は15人前後で推移していたが、
1996年から4年間は10人に減った。
もはや公立学校は維持できない。
廃校の危機にさらされたのだ。
「学校(子供)がなくなったら、この集落は終わってしまう」
それが住民の想いだった。
当初は過疎化対策のため、町にお願いしにいった。
町は何かしてあげると約束しながら、
6年間、何も対策をしてはくれなかった。
「町が伊座利のためにお金を回さないのは、
当然と言えば当然なんです。
町には8つの地区があって、伊座利は一番、東のはじっこ。
しかも人口は100人あまり。
こんなところにお金を回すメリットがないという、
行政の言い分も今となればわからんではない」
そう語るのは、
伊座利漁業協同組合の代表理事組合長なんて、
堅苦しい肩書きが似合わない、
とっても気さくな清のおっちゃんだ。
「別にこのまま過疎化が進んでも、
われわれの世代が生きていくには困りはせん。
だが、このまま行けば、
将来的に廃れてしまうことは目に見えちょる。
特に学校がなくなってしまうのは、決定的なこと。
廃校の危機をなんとかして、
次の世代に村をつなげていきたいと思ったんよ」
(清のおっちゃん)
清のおっちゃんが組合長になったのは、2002年頃。
この前後頃から、村の自発的な再生活動が本格化する。
「いつまでも行政に頼ってはいかん」
「行政が何もしないのを指をくわえて待ってるわけにはいかん」
「自分たちの集落を守るには自分たちが行動しなければ」
伊座利の全住民で構成する、
「伊座利の未来を考える推進協議会」を結成し、
“学校の灯火を消すな”を合言葉に、
地域活性化のための策を考え始めた。
しかし、はじめはなかなかうまくいかなかった。
その時の様子について、富田のおっちゃんは、
「みんなはじめは自分のためになることしか考えとらんかった。
だから毎日ケンカばかりでまとまらない」
ただ漁師の気質なのか、伊座利の気質なのか、
みな本音で話し合ったことがよかったのか、
次第に自分のためだけでなく、
伊座利のために何をすべきかを、
考えるようになっていったという。
「自分が良くなるには伊座利が良くならなければならん。
伊座利だけが良くなっても他の町が良くならなければ、
伊座利だってだめになっていまう。
みんなが良くならなければ自分も良くならない。
それに気づいたんです」
(富田のおっちゃん)
私は正直、この話を聞いて驚いた。
人口100人あまりの小さな漁村の人たちが、
「think globally,act locally」に気づき、
実践しているのだから。
伊座利の取り組みは、単に地域活性化の思想ではなく、
持続可能な地球環境というグローバルな意味での、
地球を考える発想にたどり着いていたのだ。
当時を振り返って、推進協議会の中心的メンバーである、
草野さんはこう語る。
「結局、行政におんぶにだっこで住民が甘えていたんです。
でもそれでは絶対に地域の活性化なんてできっこない。
だって行政は、地域再生の素人なんですから」
かつて国や町が伊座利のためにやったことは、
意味のないハコモノに過ぎなかった。
国民宿舎を作り、町営のキャンプ場を作った。
しかし何もない漁村にそんなもの作ったって、
誰も来るはずもない。
こうした行政主導によるハコモノ・バラマキ政策では、
真の地域再生にはならないと、
伊座利の人たちは気づき始めたのであった。
では実際の取り組みを見ていこう。
●2:漁業から“海業”への転換
「昔のように漁業だけに頼る生活では、
ダメだと思うようになったんです」
(清のおっちゃん)
漁業とは恐ろしいほど不安定な職業であることを、
現地取材していて思い知らされることになる。
自然相手でまったく漁獲量の予想がつかない。
豊漁になっても価格が下がってしまう。
不漁になれば、生計が立てられない。
海が時化てしまえば漁には出られない。
漁に出ても獲れるとは限らない。
獲り過ぎてしまえば、来年以降の漁獲が減ってしまう……。
「漁業はまさしく水商売や」
そう語るのは、定置網漁を行っている大敷水産の社長、
坂口さんことクロにいちゃん。
定置網漁に行く前に、私に毎日の帳簿を見せてくれた。
帳簿を見るといかに不安定な仕事かがわかる。
1日で100万円の売り上げを稼ぐこともあれば、
1日わずか8000円のこともある。
それもほとんど予想がつかず、出たとこ勝負だ。
もちろん、うまくいけば、
短期間で大金稼げるボロい商売である。
伊座利はアワビ、サザエ、伊勢エビなど、
高級品が獲れる場所でも有名。
「夏に20日間だけアワビを獲るだけで、
年収分を稼ぐようなやつもおる」
(クロにいちゃん)
とはいえ、不安定な水商売である漁業に頼っている限り、
この地域に未来はない。
そこで推進協議会が考えたのが、
「漁業から海業」への転換だ。
「伊座利の資源は海しかない。
漁業以外の産業というのも難しい。
そこで神奈川の三浦のような、
海という資源を活かした、
地域活性化をしていこうと思った」
(草野さん)
そこで伊座利がはじめた活動が、
「おいでよ海の学校へ」だった。
伊座利を自然や漁業を学ぶ「海の学校」と位置づけ、
都会の子供たちなどに、
川遊び、磯遊び、漁船クルージングや、
定置網漁体験、魚のさばき方など、
漁村体験をしてもらおうというもの。
夏休みに2~3日、体験してもらうだけでなく、
親子での“漁村留学制度”も設けた。
「漁村の暮らしは2~3日でわかるもんじゃない。
最低でも1年を通して、漁村の田舎暮らしを体験してもらう。
子供にとっても貴重な体験になる」
(草野さん)
過疎化対策のために、
なりふり構わず住民を移住させようというのは、
私はあまりうまくいかないのではないかと思う。
たとえば、移住したら住民税は無料にする、
移住したら土地をあげるといった取り組みをする自治体もあり、
それはそれで画期的なことだが、
やはり田舎暮らしをしたことがない、
都会の人間がいきなり移住するには無理がある。
伊座利の取り組みが画期的なのは、
いきなり移住してくださいではなく、
体験や1年間の留学など、移住の手前の移行措置を作ったことだろう。
どんなに土地や税金を優遇されたところで、
いきなり100人の漁村に移住などできるわけはない。
しかし1年間だけ、小学生のわが子を、
自然に囲まれた田舎暮らしをさせてみたいと思う親は、
結構いるのではないか。
こんな時代だからこそ、漁業や農業など、
一次産業の体験がある子供って“強い”と思う。
この海の学校による留学制度が徐々に浸透し、
短期間だが都会から一時的に移住してくる人たちが増え、
人口が130人まで回復し、
2004年頃から小中学生の数は20人を超えるようになったのである。
現在、都会から1年以上の留学および定住を決めた家族が12家族。
22人いる小中学生すべてが、留学・移住してきた子供たちという。
高齢化率も44%から25.4%にまで下がったのだ。
●3:地域の持続的維持が主であり発展が目的ではない
ただ伊座利は留学だろうが移住だろうが、
なんでもかんでも人口を増やせばいいとは思っていないところが、
これまたおもしろいところ。
留学する場合は、子供だけではだめで、
必ず親のどちらかも一緒に住むことが条件。
しかも推進協議会、学校が保護者を面談し、
留学していいかどうかを判断する。
なんと断る場合もあるという。
「中途半端な気持ちで来ても長続きしない。
来る目的や保護者の態度を見て、判断を下しています。
おいでよといいながら、来る人を選ぶというのはわがままですが(笑)」
(草野さん)
かつ留学中の暮らしはあくまで「自己責任」であることを強調する。
「住まいは空き家などを改修して用意しますが、
無料ではなく月17000円程度の賃料をいただきます。
漁村暮らしでの生活はサポートするとはいえ、
経済的な援助などは一切しない」
(草野さん)
田舎暮らしを希望する家族のなかには、
何から何まで地域が援助するのが当然、
といった考え方の人もいる。
そういう意味での留学・移住者を募集しているわけではないことを、
きっちり線引きするため、面談などを設けている。
「いや、わしらだって誰でものどから手が出るほど、
子供が移住してほしいですよ。
でもだからといって無責任な親を受け入れたら、
人口は増えても伊座利のコミュニティが維持できなくなってしまう」
(清のおっちゃん)
これは清のおっちゃんだけでなく、
草野さんやクロにいちゃん、富田のおっちゃんも、
同じことを言っていた。
過疎化しているからただやたらめったら、
人口を増やせばいいってもんじゃない。
地域の活性化だからといって、
地域の特性に合わない産業をはじめて、
地元の経済活動を2倍、3倍に大きくしようというわけじゃない。
あくまで地域が持続的に存続していけることが、
活動の主なのだ。
私はこれを聞いて恐れ入った。
まさに今の日本や世界各国の政治家に聞かせてやりたい言葉だ。
なんでもかんでも経済成長すればいいって時代はもう終わった。
現にもうすでに地球環境規模でいえば、
人間の経済活動や人口は地球のキャパシティを超えている。
何年も前から“持続可能な発展”がキーワードになっているが、
未だに全世界の政治家も国民も、
継続的に経済が高成長することばかりを考えている。
だから無理やりおかしな政策やいらんもんを作り、
それがバブル化し、弾けて世界経済に大混乱が起こり、
またそれを収束するために景気対策という名のもと、
水道の蛇口を緩めて、金をジャブジャブ使わせる仕組みを行い、
それがまたバブル化していく・・・。
伊座利の人たちの考えは、
限られたキャパシティのある地球環境のなかで、
どのような規模の経済活動をしていくことがよいのか、
今の国際社会に参考となるものではないかと思った。
なぜ小さな漁村の人たちが、
今の地球環境問題や経済混乱、社会問題を解決するような、
糸口的発想を身につけることができたのか。
その答えは漁業を生業としているからである。
「漁業は養殖業や農業とはまったく違う。
限られた魚をみんなで取り合うわけだから、
一定のキャパが必要であって、
人口が急増したらそれはそれで破綻してしまう」
(クロにいちゃん)
漁業というのは実に因果な商売だ。
農業も自然相手とはいえ、
ある程度、人間がコントロールできる範囲がある。
農作物を作る場所を増やすこともできる。
しかし漁業はそうはいかないのだ。
自然界にいる魚の数は決まっている。
限りある魚という資源で生きていくには、
人間の数にも限りがある。
漁業しかない集落だからこそ、
経済成長主義、人口増加賛美主義に走らず、
自然環境に合った適正規模での社会のあり方について、
考えることができたのだろう。
自然と向き合う究極の職業が漁業。
だからこそ伊座利の取り組みが、
地球環境問題のヒントにもなるような示唆を含んでいるのだと思う。
「収入は4分の1、いや、
5分の1になったかもしれんけん、
不思議と貧乏感はないんです。
むしろ都市より豊かな暮らしをしているかもしれません。
みんな“貧乏”。
でも、みんなニコニコ。
それがこの伊座利の魅力です」
数年前に京都から移住してきたナガノさんは、
こんな風に伊座利を称した。
豊かさとは収入の数字ではない。
そんな当たり前のことを、
日本人の大半がわかっちゃいない。
しかしそれを伊座利に移住した人は悟っている。
●4:都市と田舎をつなぐもの
漁村留学制度だけでなく、
漁村では考えがたい、様々な取り組みも積極的に行っている。
たとえば漁港に漁村カフェ「イザリCafe」をオープンし、
とれたての魚を刺身定食や天ぷら定食にして食べれるのが人気で、
驚くべきことに、こんな僻地に、
土日になると県内外から観光客が来ている。
漁村の食堂や居酒屋にせず、
カフェにしたことも成功したポイントだっただろう。
「食堂や居酒屋にしたら地元の男性がたまるだけになってしまう。
カフェならよその人も入りやすいし、
漁村留学制度や地域の取り組みなどの情報発信をしやすい」
(草野さん)
漁村にカフェというのは確かに斬新。
珍しいこともあって、
地元のタウン誌にも度々取り上げられて、
観光客が来ることで伊座利を知ってもらう、
1つのきっかけとなっている。
カフェだけで採算がとれるかは別問題だし、
カフェもとれたての魚を出すため、
漁業に依存している延長線上にはあるのだが、
変な観光施設を作るより、
漁村カフェを作る方が、
はるかに地域に人を呼び込むには役立つだろう。
また、海草の一種であるアラメを製品にして、
事業化することも行っている。
「漁に左右されず、いつでも出せる商品が欲しい。
そこで白羽の矢が立ったのがアラメ。
約40年間、利用してこなかったが、
アラメを製品化し事業化することで、
漁業以外の新たな産業に育てていきたい。
地域の雇用対策的な意味合いもある」
(清のおっちゃん)
また自分たちで資金をためて、
東京や大阪などに地域PR活動も行っている。
「都市と地方の交流とよくいうけど、
都会の人が地方に来てもらうことだけが交流じゃない。
われわれもたまには都市に出て、
都市の人との交流をしていきたい。
こうした人と人とのつながりによって、
地域活性化のヒントをいただいたりもできる」
(草野さん)
ここにあげた何かが、
過疎化を防ぐ決定的な対策とは言いがたい。
しかし今まで行政がやってきたような、
旧来的な考えだけでなく、
住民たちが考えた柔軟な発想で、
トライ&エラーでいろんなことを試みているからこそ、
それの相乗効果で地域が注目され、活性化しているのではないだろうか。
「都会が生きていくためには田舎が必要なんです。
でも田舎が生きていくためには都会が必要なんです。
両方がバランスよく存在してこそ社会が成り立つ」
(富田のおっちゃん)
田舎暮らしが素晴らしいといった、
田舎至上主義ではなく、
都会のための田舎であって、田舎のための都会という発想。
それぞれの地域の特性を活かした、
社会的存在意義のある地域づくりをしていけば、
その地域は生き残っていける。
田舎で漁をして魚を獲ってくれる人がいるから、
われわれの食卓に魚が並ぶ。
魚を漁村以外の人も食べるからこそ、
漁村の経済は成り立ち、
そのお金で、車や自動車を買ったり服を買ったりする。
そんな当たり前のことを、
漁村に4日間行って気づかされた。
取材を終えて最後の別れ際に、
漁協職員の直ちゃんはこう言った。
「東京に行くのは1年に1回で十分や。
あんな人がうじょうじょいるところ、
何度も行きたくない」
私も伊座利のような田舎には、
とってもいいところだけど、
1年に1回か2回、行けば十分かなと思った。
でもきっとそのバランスが大事。
そして都市で暮らす人がいても、
田舎で暮らす人がいても、
そこが何らかの形でつながることが、
きっと“豊かな”社会を作る土台になるんじゃないかと思った。
1年に1回ぐらいはまた来ます(笑)。