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2001年 09月 14日
驚くべき事実~アメリカテロ事件
驚くなかれ。
アメリカは、1980年代、
今、全世界の至上最悪の悪者とされたラディン氏に、
200億ドルもの資金援助をしていたのだ。

もしこの一連のテロが本当にラディン氏によるものだとすれば、
アメリカが昔、資金援助した金が、まわりまわって、自らの首を絞めるのを手伝ったことになる。
こんな倫理観のない国家は、はっきりいって信用したくない。

ソ連のアフガニスタン侵攻阻止のためにアメリカは、
世界的テロリスト・ラディン氏に莫大な資金援助をしていたのだ。
こんなひどいことってあるだろうか。

近年のアメリカ報復攻撃の誤爆の多さ。
ラディン氏が反米感情を抱くようになったのは湾岸戦争からだっとというが、
あの戦争の真相も非常に謎の部分が多い。
一部にはアメリカ陰謀説まで出ている始末。

思うに世界の紛争の火種に、火に油を注いでいるのは、
世界の警察官(おせっかい)アメリカ当人ではないのか。

複雑に入り組んだ問題を、自分のところの勝手な価値観や論理を、
莫大な経済力と軍事力で無理やり作り上げる。
その強引なやり方が、自然解決する問題を悪化させ、自らの首を絞めたのではないだろうか。

テロリストは決して許してはならない。
しかし僕にはあのアメリカという国は今回の出来事でますます信じられなくなった。

何が「自由」の戦いなのか。何が「民主主義」の戦いなのか。
何に対しての自由なのか。何を持って民主主義というのか。
美麗字句ばかりが先行し、言葉に実体が全然伴っていない。

アメリカよ。君は他国のことや世界のことに口出ししないでくれないか。
君がいると解決する問題が複雑になり余計に悪化するんだ。
歴史のないアメリカ国家に、アラブの長い歴史背景は絶対に理解できないだろう。


by kasakoblog | 2001-09-14 15:30 | 一般
2001年 09月 12日
バベルの塔崩壊~ニューヨーク貿易センタービル倒壊
家に帰ってきて何気なくテレビをつけると、とんでもないニュースが飛び込んできた。
ニューヨーク世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が2機衝突したという事件。
それもテロの可能性だというから驚きだ。

これだけ他国から恨まれる国っていうのは何なのだろうか?

これだけの怒りや恨みや復讐心を他国に抱かれたアメリカという国は、
この事件を契機に自らの行いを見直すべきなのではないか。

そして炎上から倒壊・・・
現代のバベルの塔、110階の世界超高層ツインビルは二つともあっけなく倒壊した。

神の怒りにふれたバベルの塔の神話が今よみがえる。
人間が普通に暮らしていくのに、110階ものビルは必要なのだろうか?
その答えは今テレビに映し出されている“ショー”を見れば明らかだろう。

制作費何百億かけたアメリカ映画なんてちっともつまらない。
だって現実の事件の方が映画なんかより上回っているのだから。
映画を見るよりニュースを見たほうが、奇想天外信じられない驚愕ストーリーが展開されている。

それにしても世界の超軍事大国アメリカは、3000億ドルもの金をつき込んで、
世界の警察を標榜していながら、ニューヨークの安全すら守れなかった。
一体今までなにやってたんだ?
ニューヨークの安全も守れる国家から、対空ミサイルなんて買うバカはいない。

ニューヨークの証券取引所で株価が下落し、それが日本にも波及し株価が1万円台を割るかと騒いでいたが、
そんなちんけなマネーゲームなんぞに執着してるから、足元掬われるんだ。
それもしても湾岸戦争の時もそうだが、経済が芳しくなくなると、
この手の事件がタイミング良く起き、国家が団結し戦時経済で好景気になる。
アメリカというとんでもない陰謀国家は、もしかしたらこれもわざと仕組んだ可能性だって捨てきれない。

肝心要のわが国、日本の対応窓口が、公金使って愛人囲った外務省なのだから、
日本の将来も終わっているよな。

11機が同時にハイジャックされたという前代未聞の事件。
あれだけ空港ではハイジャック検査を厳しくやっているはずなのに、
いとも簡単にハイジャックされてしまう情けない現実。
日本でも2年前に札幌行きの飛行機がいとも簡単にハイジャックされたが、
航空会社のチェック体制を見直す必要があるのではないか。
きれいなスチュワーデス雇ってる金があったら、しっかりした警備員を雇ってほしいよな。

第2次世界大戦から60年あまりが過ぎようとしているが、
このテロを契機に、人類は新たなる愚かな歴史の幕を切って落とすかもしれない。
軍事産業の肥大化と不要に恐れをなす軍産複合体という強力な癒着関係と、
慢性的不景気の起爆剤としての戦争利用。
世界恐慌と第3次世界大戦。

旧約聖書・バベルの塔の話に戻ろう。
人間が天にも届くような高い塔を築いたことに、神が怒り、
人々の言葉を混乱させ建設を中止したという。

自然を破壊しつくし、神の怒りを買った現代文明。
神が人間のおごりを正すために、違った価値観を持った人間同士を戦わせているのではないか。

現代のバベルの塔は崩壊した。
神の怒りは、人間の命が失われることによって償われるのだろうか。


by kasakoblog | 2001-09-12 15:33 | 一般
2001年 09月 11日
問題の本質を見誤るな
悪いのは手錠が趣味の変態教師だけなのか?
12歳の女の子が犯罪の温床となっているテレクラに、
自ら電話をかけた行為こそが、そもそもの事件の原因ではないか。

<1>
高速道路に手錠をかけられたまま打ち捨てられて死亡した中学生の事件。
その犯人が中学校教師だったということで、世間は大騒ぎしているが、
そんなことより、12歳の女の子がテレクラに電話を掛けていたことのほうが僕には衝撃だった。
テレクラに電話を掛けて見ず知らずの男と待ち合わせなどすれば、
どんなに危険なことが待ち構えているかなんて容易に想像がつくだろう。

もしこの事件が、テレクラで知りあったのではなく、
同じ学校の教師と生徒で、教師の呼び出しを断れなかったとか、町でむりやり車に連れ込まれたなら、
今のマスコミ報道のように、変態教師を糾弾するだけですむし、女の子に同情する余地はある。

しかしそうではないのだ。
変態教師に全責任を押し付けることは、問題の本質から目をそらすことだ。
もちろん事件を引き起こした加害者は絶対に悪い。
しかしその被害者が万全の注意を払っていたかということが一切問われないのが不思議である。

テレクラに電話を掛ける以上それなりの危険が待ち受けているのは当然だし、
まして見ず知らずの男と自発的に待ち合わせなどするというのは、
はっきりいって何をされてもいいという意志表示と取られても仕方がない。
非情かもしれないが、女の子が事件を巻き込まれたことに同情の余地はない。

「看護婦を夢見たわずか12歳の少女を殺すとは何事か!」と怒りをぶちまけた親だが、
テレクラに電話を掛けるような女の子に看護などされたくはない。
学校に先生の異常さに気づかなかったのかと文句を言っていたが、
親として子供がテレクラに電話を掛けていたことに気づかなかったのかと学校側は言い返せばいいのだ。

<2>
それにしても、なぜマスコミはやっきになって変態教師の私生活を暴こうと必死になっているのだろうか?
そんなの今時珍しくないことだろう。
そんなことよりテレクラに電話を掛けるような12歳の女の子は、一体どんな生活を送っていたのか。
どんな家庭環境に育てられたのか?
そちらに焦点を当てることこそが、この事件の解明になるのではないだろうか。

加害者は悪い。殺されれた人に同情するのはわかる。
しかしよくよくこの事件を客観視してみれば、
被害者の行動に問題があったことは認めなくてはならないだろう。

僕は敢えて言う。
今回の事件が起きたのは仕方がない。
被害者自らが招いた事件で、被害者に同情の余地はないと。

12歳の女の子がテレクラで電話してしまうという行為。
見ず知らずの男に自ら待ち合わせしてついていく態度。
きっとそんな女の子は、今の日本に数限りなくいるだろう。
この事件を受けていかにテレクラが危険な場所かがわかったはずだ。
にもかかわらずそれでも電話を掛ける女の子は、
殺されようが何をされようが文句は言えないということを、肝に銘ずるべきだろう。

マスコミはいいこぶって教師だけを糾弾するのではなく、
被害者の態度にも批判の目を向けるべきだろう。


by kasakoblog | 2001-09-11 15:34 | 一般
2001年 08月 19日
ぶちぎれ
<1>
最近の世の中はちょっと自分の気に入らないことがあると、すぐにぶちきれて簡単に人を殺してしまう。
そんな世の中では、誰一人自分の身に火の粉がかかってくるかはわからない。
僕にもぞっとさせる思いが起こった。

日曜日、夜23時半。モスバーガーで原稿を書いて戻ってきた矢先のことだった。
「ドスーン、ドスーン」とものすごい轟音が鳴り響いた。
一瞬何の音か全くわからなかったが、それが僕の家の戸を叩いていることがわかった。
ギョッとする。叩き方が尋常ではない。
家賃4万5千円の風呂なしボロアパートの木の戸など、ぶち破られそうな勢いだ。

「笠原さん!笠原さん!いるんだろ、あけろ!!」
何の騒ぎだ。男の騒ぎ声がする。身に覚えはない。
しかし帰った頃を見計らった行動は、近所の人であるとしか思えなかった。
もちろん近所づきあいなどない。そもそも表札にも名前は出していない。
ただ郵便受けに書いてあるだけなのだ。

「だれ」僕はありったけドスの効いた声で張り上げた。
男は「いいから開けろ!」とエスカレートして戸を叩き続けた。
僕はこんな時、ついインドを旅した時のことを思い出してしまう。
「目には目を、歯に歯を」である。絶対にこちらが弱気をみせてはいけない。
そう思って「なんであけなきゃいけねえんだよ、ボケが!」と罵声を浴びせたが、相手はエスカレートするばかりだった。

<2>
その異様さに尋常ならぬ気配を感じた。
これはただ事ではない。
僕に心当たりがあるとすれば、楽器禁止と言われているこのアパートでギターを弾いていることだが、
市川の時に注意された教訓を生かして、ピックでガチャガチャ弾くのはやめていた。
それにしたってギターの音がうるさいという注意で、こんなにすごい怒声はあげないだろう。

これはやばい。
僕は場合によっては戸を開けてひとケンカしてやろうかと思ったが、その異様な行動に恐さを覚えた。
もしかしたらどこぞのヤクザが、人違いをしているのかもしれない。
そこへのこのこ戸を開けて出ていったら、とんどもない災難に遭う。
僕は震える手で、「開けろ!」との怒声を聞きながら、110番した。

一刻も早くという思いで住所と名前を告げ、今、戸を恐ろしい勢いで叩く男がいるから
すぐに来てくれと助けを求めたが、警察は至って落ちついている。
「債務のこととがじゃないですよね」
何ぬかしてんだ、この緊急時に。俺はもともと借金取りで、債務者なんかじゃない。
「今お掛けになっている電話番号は?」
おいおい、設置の電話番号なんて覚えちゃいないよ。携帯の電話番号を伝えようとしたところ、
「いや、今掛けている電話番号を知りたいのですが」と悠長なことを言っている。

「あの、もう目の前に人がいて、戸を蹴破られそうなんです。とにかく早くきてください」
僕は恐怖に震えながら、警察が来るのを待ったが、それまでの時は異様に長く感じられたので、
そうだ、すぐ近くにいる大家にも電話を掛けようと大家にもSOSを出した。
またすぐに逃げられるようにと、窓の戸を開けた。
ここから飛び降りれば、いざというとき逃げれるだろうと。

<3>
僕が何も言い返せずに、じっと息をひそめていたら、怒声と戸を叩くのはやんだ。
しかし気を抜いてはいけない。
もしかしたら向こうも息をひそめて入口で待ち伏せしているかもしれない。
僕はいつでも窓から逃げれるように身を構えながら警察を来るのを待った。

5分ぐらいか10分ぐらい後だろうか、再び戸を叩く音が聞こえる。
「どちら」と聞くと返事がなく再び叩く。
「どちら?」と大きな声でもう一度聞くと、「警察です」と静かな声が返ってきた。
僕は「本当に警察ですね」と確認し、はじめはチェーンをつけたまま扉を開けた。
すると間違いなく警察の制服が見えたので、戸を開けた。

「110番通報しましたね。状況を聞かせてください」
僕の唯一の不安は、警察が来た時に男がいなくなってしまうことだった。
そうしたら警察は僕の言葉をまともには聞かないだろう。
警察が帰った後にまた同じように戸を叩かれたらどうしようかとそれが不安でならなかったが、
警察に事情を聞かれているうちに、下で例の男の怒鳴り声が聞こえて、ある意味ほっとした。

「ここに自筆で名前書いてもらえますか」「生年月日、教えてもらえます」
110番通報した人はわかると思うが、警察を呼んだ被害者に対して
まるで容疑者のように慇懃無礼に振舞うのにちょっと驚く。
以前に110番通報した時に「免許証のコピー取らせてくれませんか」と言われて、
ふざけんなと思って断ったことがあった。まるで疑われているのは被害者の自分であるかのようだからだ。

とにかく、ちょっと下に来てください。
例の男が騒いでいる中で、僕をそいつと引き合わせよういうのだ。
僕は一瞬躊躇した。顔を一度見合わせれば、お互い気まずくなるし居づらくなるのではないかと思ったからである。
しかし警察に言われるまま、下に降りることにした。
家を出ようとした時に新聞が投げ散らかされていた。ゴミのことだなっと思った。

戸を叩いた張本人との対面。
僕はたちの悪いいかつい男か、もしくは狂人かのどちらかと思ったが、
見えてみると普通の中年おっさんなのだ。
大家さんもいて警察官も3人いて僕はほっとした。
僕が来るなり男は眼前に迫ってきたので、殴られるかと思い、
殴られる前に殴り返さねばと先手必勝の構えをしたが、警察が押し留めた。

「あんたいつも新聞、ごみに捨ててんだろ。新聞は資源なんだよ。
資源ゴミの日に出せよ。俺はあんたを半年前から知ってるんだ。
だけどいつも遅いからな、ずっと注意したくてもできなかったんだよ」

おいおいなんだよ、そんなことかよ。だったらそんなに興奮せずに普通に言ってくれればわかるだろうに。
「新聞は資源なのに普通のゴミの日に出すなんて非常識じぇねえか、いい加減にしろよ」
「あのね、こんな夜遅く、戸を蹴破らんかの勢いで叩いて怒鳴り声をあげる方が非常識ってもんだろうが」
互いに険悪のムードが漂うが、警察もなんだこんなことかと思ったらしく、仲裁に入る。

「わかりました。じゃあ笠原さんは、ゴミのルールを守って、新聞は資源ゴミに出してください。
それからおたくさんは、注意するにしても夜遅くに騒ぎ立てるのはやめてください。わかりましたね」

中年おっちゃんもちょっと落ちついて反省の色をみせたので、まあ僕としてもいわれていることは僕が悪いので謝った。
「いやあ、わたしもね、警察が来るとは思わなかったのでちょっとびっくりしましたよ」
「それにしてもずっと注意したかったんです。きっとこんなだらしない奴、
茶髪でへんてこな髪型していて、目つきの悪い奴かと思って、注意するのにあんな声を出してしまったんです。
なんだ、見たら笠原さんっていい人じゃないですか」
「そうですよ。笠原さんっていい人なんですから、言えばわかる人なんですよ」
大家さんがすかさず言葉を入れてくれたのはうれしかった。
僕も謝り、向こうも謝って、これで一件落着となり、日曜日の夜の騒ぎは終わった。

<4>
ほんと恐いですね。世の中って。
たとえばこれがもっと変な人だったら、新聞のゴミの出し方のせいで僕が戸を開けた瞬間ブスっと刺されているかもしれないし、
もし僕が変な人だったら、注意されたことに腹を立ててブスっと刺しているかもしれない。
ほんとその辺は紙一重の世の中に生きてるんです。

でも逆にこうして面と向って話し合えば、お互いにわかりあえるということもあると思いました。
向こうは向こうで、とにかくひどいだらしのないたちの悪い奴だと思い込んでいて、
こっちはこっちで、えらい恐い奴だと思い込んでいたが、
こうして互いに話し合うことで理解がしあえたんです。
その当事者にわって入った大家さんと警察という存在も、場を静めた効果はあったと思うのですが。

でもほんと一瞬、戸を叩かれわめかれた時は、生きた心地がしなかったですね。
恐怖にあんなにもかられるなんて。
「ゴミの出し方が原因で殺人事件」なんて翌朝の新聞に載らなくってよかったですよ。全く。


by kasakoblog | 2001-08-19 15:24 | 一般
2001年 08月 10日
20年後に大戦争が起こる
<1>
今年の6月にベトナムに旅行することになり、
何かベトナムを知る本はないかと思って手に取ったのが、開高健の「ベトナム戦記」である。
正直いって、今更ベトナム戦争のことを読んでも、同時代と感じる事はできず、
すでに歴史の教科書を読むようなはるか遠い昔の感覚に、我々の若い世代はなってしまっている。
戦争を知らない世代なのだということをつくづく実感させられた。

なんでこんな愚かしいことをするのだろうか?
なんでこんな無意味な人の殺し合いをするのだろうか?
こんな馬鹿げたことは21世紀になった今、起こるはずがないと普通なら思う。

日本では、北海道広尾町で起きた子供の殺害事件が連日のように報道されている。
小学校で刃物で斬り付け無差別に児童を殺した事件などもつい最近の話。
こういった凶悪事件があまりに多くて、驚きよりも「またか」という気持ちが大きい。

リアリティを失った現代世代。
バーチャルな世界に取り囲まれ、行き場を失い、人間性を失い、閉塞した社会で生きる現代世代。
この世代が、どうしようもない今の日本社会の中で、自分が生きている証を証明しようとした時、
最もリアリティを感じることができるのが「死」である。
現代世代は自殺するには臆病だから、人を殺す事によって、自分の中に人間性を取り戻そうとする。
そういう衝動は、現代社会の中には満ち溢れている。
事件になるのは氷山の一角に過ぎない。

<2>
ふと思う。
この世代がもっと大きくなった時に、失われたリアリティを取り戻すために、
国家全体で殺人を近い将来行うのではないかと。
つまりは戦争である。

「死」と隣り合わせになってはじめて人間は「生」を感じる事ができる。
現代社会のような無菌国家、無機質国家、機械化国家に生きる世代が、
リアリティを取り戻す方法を集団化させれば、戦争になるだろう。

ベトナム戦争も太平洋戦争も我々の世代には遠い。
戦争の悲劇というものを本で読もうが、実感としてはわからない。
だからこそ、便利で物があふれて人間関係が極めて希薄化した社会の中で、
近い将来起こりうる現代社会の悲劇は、間違いなく戦争であると思うのだ。

人類は愚かなる過ちを繰り返す。
しかし今度起きる戦争は、領土を獲得するというある意味では合目的な目標のためではなく、
自分の中にリアリティを取り戻したいという極めて個人的で精神的な動機から、戦争を起こすだろう。

そこには勝利も敗北もない。
人の死が、仲間の死が、時には自分の死があれば、戦争の欲求は満たされるという、
極めて倒錯した理由によって人殺しがなされる時代になるだろう。

機械化が進む世の中で、希薄化した社会の中で生きる我々は、
個人的な狂気による凶悪事件が集団化し、血にまみれた戦争を起こすに違いない。
なんて不幸な世の中なんだ。


by kasakoblog | 2001-08-10 15:01 | 一般
2001年 07月 24日
教訓とはいかに~花火将棋倒し事故~
<1>
7/21、兵庫・明石で起きた花火大会の将棋倒し事故の大惨事。
マスコミはこぞって警備の不備や警備員の不足を訴える。
なぜか日本では事故が起きる度に、まず警備の不備が指摘されている。
武富士の火災事故でさえ、マニュアル不備の方向へと故意に論調を誘導しようとしていた。
(ただしその事件は、あまりに犯人の犯行が残虐性を極めていたために、マニュアル不備指摘は最小限にとどめられた)

小沢一郎の著書「日本改造計画」には、確かこんな話で始まる。
「アメリカのグランドキャニオンには柵もなければ、危険だとの注意書きもない。
これが日本だったら行政の不備を指摘されるだろうが、アメリカではこれが当たり前だ。
自己責任に基づいて各自が行動し、いらん世話のために税金の無駄使いはしないのだ」

今回の兵庫で起きた事故も、真っ先に警備の不備を問題にしようというマスコミの悪意的な意図が見受けられる。
「警備員がもっといれば防げた事故だった」そんな誘導の仕方の番組構成に腹が立つ。
あほか!
いくら警備員を増やしたところで、たかがあんな小さな花火大会に、
13万人もの人が来ること自体、もうすでにイマージェンシー(非常事態)なのだ。
警備員が何百人いようが惨事は起こるべくして起こるだろう。

この事故をもとに何を私たちは問題にし、教訓としなければならないのか?
それは、たかだか3連休で、人口海岸でしかも歴史のない花火大会程度のものに、
あれだけの人が集まってしまうほど、私たちに楽しみがないということである。
余程私たちは貧しい生活をしているようだ。
あんな程度の花火大会に13万人もの人が集まってしまうほど、
日本の余暇は貧弱だということを、日本中にさらけ出したのがこの事故だ。

<2>
ちょうど僕もこの3連休に映画を見に行こうとしたら、異常なほどの人なので見るのをやめた。
なんでこんなに人が集まるんだ?たいした映画じゃないのに。
暇つぶしで入ろうとした人にとってはいい迷惑だ。

まったく映画館とは悪趣味で、指定席にすれば並ぶ必要がないのに、
「席の確保は保証いたしません」とか張り紙をして、スピーカーでがなりちらしたあげく、
通路に人を並ばせている。それが繁盛している証拠といわんばかりに。
こんな無駄なことを客にさせているから花火事故のような惨事が起きるのだ。
警備以前の問題である。

3連休中は交通情報ではあちこち渋滞ニュースが流れる。
ゴールデンウィークや正月連休ならともかくもたかだか3連休なのに、
世の中よっぽど休みを取れないのか、この機会を逃すべからずと誰もがあわてて出かけている。
この事態こそが異常であり、いわゆる今回のような惨事を引き起こす原因となっているのだ。

休みも渋滞、平日も通勤ラッシュ。
異常なほどの人の流れの集中が、事故を起こさないわけがない。

花火事故の教訓はこれ以上ばかみたいに警備員を増やすことではない。
そもそも警備員を増やした金は花火参加者が払うとでもいうのかい?

3連休でなくても、いつでも休みを取れる社会。
地元のせこい花火大会などいかなくとも、他に楽しみのある豊かな社会。
そうなれなければ、いくら警備員を増やしたところで惨事はいつまでたってもなくならないだろう。


by kasakoblog | 2001-07-24 18:27 | 一般
2001年 05月 29日
カルテル
カルテル:同一業種の企業が競争を避けて利益を確保するため、
価格・生産量・販路などについて協定を結ぶこと。
原則として独占禁止法で禁止されている。

海外旅行に行ったことのない人も「格安航空券」といって思いつく企業はと言われたら、
多分誰もが「H.I.S.」と答えるだろう。
今注目の成長企業であちこちに出店し、過剰な広告で格安イメージを植え付けた。

しかし実際はH.I.S.は大して安くない。
去年、中国行きの飛行機代を問い合わせたところ、全く同じ日程で全く同じ飛行機会社で、
マップツアーの方が5000円安く、かつすぐにチケットが確保できた。

しかしこれはいいほうだ。
格安航空券業界はカルテルをしているのではないかという疑いがきわめて強い。
去年、中国を辞めてバリに変更したが、その途端、H.I.S.とマップツアーの値段は全く一緒。
1週間日にちをずらしても全く同じ値段で変わった。
こんなことはもう何年も前からあることで、今から3年前、タイの航空券を取るときにも、
H.I.S.とマップツアーの値段は全く一緒だった。
で、いつも値段が同じなのでどちらを選ぶかというと、
知名度が高くてやたら忙しくて対応の悪いし、チケットの確保がしにくいH.I.S.ではなく、
格安のイメージが強くないせいか忙しくないから対応が良くてチケットも取りやすいマップツアーにしていた。

そして今回、ベトナムに行こうとABロードを見ると、
H.I.S.は61000円、マップツアーは71000円となっていたので、H.I.S.にしたら、
61000円というのは非常に乗り継ぎの悪い時間のかかる飛行機だけで、直行便は71000円だという。
マップツアーでの料金表示は、乗り継ぎの悪い飛行機の値段ではなく直行便の値段が書かれていたので高く見えたが、
結局はH.I.S.もマップツアーも全く同料金なのである。

はっきりいってこれはカルテルだ。
これ以上格安合戦を繰り広げると互いに体力がなくなってしまうので協定しているとしか思えない。
超デフレ時代にこんなカルテル結んで甘えている業界は許されてはならない。
正当な競争をすればもっと飛行機代は安くなるはずだ。

ちなみにH.I.S.とマップツアーはベトナムまでの飛行機代は全く同じだが、
ベトナム国内線となるとマップツアーの方が5000円安い。
ほんとイメージって恐いよな。
H.I.S.は決して安くはない。
そして航空券業界はカルテルを結んでいる。
こんな風に消費者はイメージと陰の企業努力で騙されているのだ。


by kasakoblog | 2001-05-29 23:57 | 一般
2001年 04月 13日
聖地破壊
つい先日、イスラム原理主義勢力ターリバンによって、
アフガニスタン・バーミアンの大仏が破壊されたことは記憶に新しいことかと思う。
貴重な文化遺産を無意味に破壊するイスラム原理主義勢力の行動に、世界的な非難が集まった。

しかしちょっと待った!と言いたい。今日の朝刊にこんなニュースがあった。
ハワイ島で高級ゴルフリゾート施設の建設工事をしている日本航空に、
先住民遺跡や埋葬骨を破壊するトラブルが発生。現地の裁判所は工事の一部中止命令を出したそうだ。
日本航空ではそれについては謝罪をしたが、中止命令が出た部分以外は工事を続行するという。

計画地はハワイ先住民の聖地とされ、先住民の子孫らは工事の全面中止を求めているが、
日航側では、「中止命令が出た部分は工事をやめているが、
7年間かけて地元の理解を得て工事に着手しているので、それ以外の部分についての計画の変更はできない。
地域との共存共栄をめざして工事に取り組んでいる」と言っている。

我々はイスラム原理主義勢力の蛮行を非難することができる立場にいるのだろうか?
地元先住民の聖地を踏みにじりながら、平然と「共存共栄をめざしている」とぬかす金に目がくらんだ日本企業。
高級ゴルフリゾート施設を作ることが、地域の共存共栄になるとは到底思えない。

バーミアンの大仏破壊を正義ずらして批判している格好良いこと言っている人々もまた、多くの聖地を未だに汚しているのだ。
日本の恥、日本航空の蛮行。
地元の墓を荒らして作り上げたリゾート地に一体どんな魅力があるというのだろうか?
よ~く頭を冷やして考えて欲しい。


by kasakoblog | 2001-04-13 02:29 | 一般
2001年 04月 09日
3世代家族の崩壊
3/22のつぶやきで「託児所事件」の問題を取り上げた。
赤ちゃんを平気で他人に預けてしまう現代の風潮を批判し、
その具体的対策として3/23のつぶやきで「3世代家族の効能」を説いたばかりだった。
ところが現実の日本社会は、絶望的な状況にあることを示した事件が起きた。
千葉県袖ヶ浦市で起きた、3歳の子供虐待死亡事件である。

近頃子供の虐待事件が頻発しているが、その典型的パターンとは、
(1)都会のアパートやマンションといった一軒家ではない家で起こること
(2)核家族であること
(3)若い母親が子を一人で育ているためノイローゼ気味になって起こること
といった大まかなパターンが見られる。つまりは極めて現代的・都会的事件なのだ。

ところが今回の事件は全く違った。
何より驚いたのは、3歳の子供を虐待していたのは、母親だけでなく祖父母までもが加わっていたことだ。
子育てノイローゼで虐待してしまうのは、人間関係の希薄な、核家族・都市部という環境が大きな原因であったが、
この事件は、核家族でなく3世代家族であり、かつ都市部ではなく田舎で起こった。
この事件を聞いた時、日本社会は「絶望的状況」だなと思わざるを得なかった。

3世代家族でも児童虐待のブレーキにはなり得なかった。
否それどころか祖父母までもが虐待に加わるという超悲惨な現実。
ましてこれが都会特有のストレス社会、人間希薄社会で起きた出来事ならともかく、
田舎で起きたということは、もう日本社会は救いようがないところまで落ちてしまっているということだ。

核家族から3世代で暮らしても、都会から田舎へ引っ越したとしても、
我が子を虐待し死亡させてしまうという社会の異常性は消えることはないのだ。
日本社会の闇はあまりに深い。
日本社会に生きる人々の精神の異常性は何を物語っているのか?
社会のあり方、人の生き方を根本から変えない限り、悲惨な事件は日常化し、エスカレートしていくことだろう。

こんな絶望的社会だからこそ、社会を真正面に捉えたメッセージ性の強い歌よりも、
「明日があるさ」なんていう、極めて単調でわかりやすい、ある意味「ばかになりきれる」歌が流行るのだろう。
そんなことで一時的・逃避的に精神のバランスを取るよりも、誰もが社会の問題を真正面に見つめ、
社会の大きな転換を図らなければ、いつまでたっても過ちは繰り返されることだろう。


by kasakoblog | 2001-04-09 02:31 | 一般
2001年 03月 29日
ささやかな配慮
先日、中国四国地方で起きた大地震。
またしても日本列島に激震が走ったが、過疎地域のせいなのか、被害が少ないせいかあまりニュースに取り沙汰されない。

そんな数少ない地震のニュースの中で、ぎょっとした場面があった。
地震のために新幹線が走ることができなくなったのだが、
それに対して異常なぐらいに駅員に乗客が怒鳴り散らしているのである。
「だって大地震なんだからしょうがないじゃん。駅員に文句言ってみたって何もはじまらないよ」と、
そのニュースを見て、僕は乗客のあさましさを思った。

ところが今日、その思いを考え直す出来事があった。
会社から帰る中央線でのことだ。
中野駅を出た電車はスピードに乗りかけたと思った途端、突然、急ブレーキをかけた。
そのかけ方は尋常ではなかった。そのため帰りの通勤客で混む車内は、つり革につかまれない客が将棋倒しになった。
そこまでの急ブレーキということは、きっと何事か緊急事態が起きたのだと、じっと放送を待った。
しかし放送は全くないまま、線路内で立ち止まっている。
まだ情報の収集中なのだろうかと思っていたが、何もアナウンスのないまま待たされる。
そのうち何もアナウンスなく突然電車は動き出し、次の駅に近づくと、
「高円寺、高円寺」というアナウンスだけで終わってしまった。

結局、なぜ急ブレーキをかけ、線路内でしばらく停車していたのかの説明は全くないまま終わったのである。
乗客は誰もが説明の放送を待っていた。にもかかわらず何事もなかったように平然とやりすごす車掌。
その時、僕は思った。
きっとこういうことが常日頃たまっていくと、本当の緊急事態時にちょっとでも説明が足りないと、
乗客の怒りが爆発するのだと。
ニュースで見た乗客にはじめは飽きれたが、何となく彼らの気持ちがわかるような気がした出来事だった。

ほんの一言で良かったのだ。
「非常信号が発せられたためしばらく停車します」でも「急ブレーキをおかけしてすみませんが、しばらくお待ち下さい」でも、
きちんとした情報でなくても、一言何か乗客を気にかける言葉があったなら、乗客は安心するだろう。
そのささやかな言葉がいえないために、いつかああして乗客の怒りが爆発し、
地震が起きたせいまで駅員のせいにされるような罵声を浴びせられるはめになるのだろう。

社会を円滑に運ぶためにも、ささやかな一言が欲しかった。


by kasakoblog | 2001-03-29 02:16 | 一般