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2002年 02月 06日
ドナウの旅人
上下巻、約800ページにわたる長編を、僕は先がどうなるか知りたいあまりに、
あっという間に読んでしまったという事実は、かなり高い評価をしなくてはならないと思う。
本で一番大切なのは、「先を読み進めたい」と読者に思わせることだと思うからだ。

ドナウに沿って旅をするという一つの仕掛けにそって、
2組の異色のカップルが、様々な登場人物に出会ったり、
様々な出来事に巻きこまれながら旅をしていく。
残念ながらこの本を読んで「ドナウに沿って旅をしたい」と思えなかったのは、
正直、物語の中心的話題とは何の関連性のなかったことと、
東欧・共産圏のマイナスイメージばかりが目立っていたからのように思える。

あちこちの話の設定の無理があるが、まあそれをいちいち問うていたら、
小説が成立しなくなってしまうので、それは気にせずに読み進めればおもしろいだろう。
またこの小説の主たるテーマである「男と女」ということ以外に、
「共産主義とは何か」というテーマが度々出てくるが、それは余計だと思う。
とはいえこれが書かれた時代がソ連崩壊の前、1985年であることを考えれば、
それもいたし方ないのかもしれない。

ぜひ読んで欲しい本ではあるが、結末はあまり納得のいくものではない。
これから読む人のために結末はいわないが、
なぜあんな結末にする必要があったのかは非常に疑問だが、
まあそれまでがおもしろかったのでよしとしなくてはならないかな。
宮本輝は結末を無理やりつけようとする傾向があり、
他の小説のように汚い手とはいえ、結末は濁した方がいいのではないかと思える。

すごく考えさせられるというほど深くはないが、
暇なときに本を読むというエンターテインメントとしては素晴らしい作品のように思う。
久しぶりにおもしろい本に出会ったというのが率直な感想だ。
ぜひ読んで見て欲しい。


by kasakoblog | 2002-02-06 12:48 | 書評・映画評
2002年 01月 20日
『上海の西、デリーの東』素樹文生著
<読者からのお便り>
はじめまして、旅のページを検索していたらここにたどり着きました。
書籍の批評のページで『上海の西 デリーの東』素樹文生(偏差値35)となっているのを見ました。
僕はこの本結構好きで読んでいたのですが、かさこさんの評価はなぜ低かったのでしょうか?
文章の内容など、確かに大した文ではないかなと思うところもあるのですが、
ちょっと気になってしまったのでメールしました。

批評がなかったので、もしお手数かけないようでしたらなんでか教えてください。
個人的な批評にこんなこと言うのなんて、とってもあつかましいのですが、
どうしても評価が聞きたいのでお願いします。

<かさこ回答>
はじめまして。わざわざメールを送っていただき、ありがとうございます。
まずお詫びをしなくてはならないのは、
自分の気に入った本の評価が低かったことで不快な思いをしたら、すみません。
本の評価は全くの僕の個人的な独断と偏見に基づくものなので。

なぜ低かったのかということですが、
一言でいうならば、中国に対する文句ばかりの記述が多いことです。
僕も中国には4度、1999年にはトータルで2ヶ月近くいたので、
素樹さんの本に書いているような不快な体験を何度もしました。

確かに『上海の西 デリーの東』に書いてあるとおり、中国はひどい国ですよ(笑)。
でも中国は、そんな不快な思いがぶっとんでしまうほど、
素晴らしい遺跡や景色や料理があったりするから、旅をしてしまうのです。
そのことについての記述が、素樹さんの本には少なく、
どちらかというと、はじめ中国にはすごく良いイメージを持っていたのに、
こんなにこれでもかというぐらい裏切られたという文句ばかりが目立つような気がしました。

僕も4ヶ月もアジアをふらふらしたことがあるので、
旅は楽しいことよりもはるかに、辛い事や苦しい事やうまく行かない事だらけで、
もちろん旅先では地元の人に文句いったり「こいつらバカじゃないか」と思うこと度々です。

でもそれでも、その場所を旅したいと思う何かがある。魅力がある。
その点についてもっともっと書いてくれれば、
こんなに中国はひどい国だけど、それでも旅してしまう素晴らしいものがあるんだよという話になって、
読者も、そうか、大変そうだけど行ってみようかなと思うのではないのでしょうか。

上記の感想は僕の個人的なものなので、ご了承ください。

<書評>
中国の悪口ばかり書いてあって、旅をしたいと思えないのが評価の低い理由。
僕も中国を旅したことがあり、著者と全く同じ目にあったこともあるし時には文句も言った。
この本は中国の文句ばかり書かれている。
僕もその言っている文句はわかる。

しかし中国にはこの文句があっても、旅したいという衝動を駆り立てる魅力がある国なのだ。
素晴らしい遺跡の数々や途方もない歴史と大地の広がり。
雑多な民族と、うまい中華料理。
ほんのたまにだけど、いい人もいる。
だから中国には腹が立つけど、僕は中国をかなり長いこと旅していたしまた行きたいと思う。
でもこの本にはそれがほとんど書かれていない。
これを読んで中国に行きたいと思えるかどうか。
旅本は人を旅に出たいと思わせる力があるかどうかが、大きなポイントだと思う。
この本を読んで「僕もここに行ってみたいな」と思えること。
それが旅本の意味だと思う。


by kasakoblog | 2002-01-20 00:44 | 書評・映画評
2001年 12月 25日
ハリーポッターと賢者の石
<1>
映画「千と千尋」の爆発的大ヒットのあとに、それに代わって世間に騒がれている映画「ハリーポッター」。
僕は不思議でならなかった。
子供を主人公にした魔法使いの物語が、一部の好きな人間にではなく、こうして圧倒的多数の人が見にいくような現象が。
僕が映画を見にいく基準は「想像力をかきたてられるような、ファンタジーもしくは未来シュミレーション」であるから、
このハリーポッターも見に行ってもいいかなと思っていた。
ただこれだけ騒がれて、連日超満員状況にげっそりしていた。
それでも機会があって、1時間半待って、この映画を見に行った。

はっきりいって、信じられないほどつまらなかった。
非常に話がばらけてる。テーマに一貫性がない。
多分、膨大な原作を映画にまとめる監督の力量が足りなかったことが大きな要因であるように思える。

1人の才能に満ち溢れる少年ハリー。
魔法界を救うために、人間界でずっと育てられてきた彼に迎えがくる。
そこで僕は彼がいかに偉大なことを成し遂げるかに注目した。

しかし彼の悪との対決シーンはあまりにへぼい。
しかもその対決は、いつのまにか3人の同級生との友情物語へとすりかえられる。
3人の魔法使いの子供たちが、凶悪な敵に立ち向かって、 友情と愛を武器にしてそれを倒す物語であるならば、
ハリーポッターの生まれの特殊性は意味がなくなってしまう。
ならばはじめっから、ハリーもただの普通の魔法使いの見習いにして、3人が協力して敵を倒す物語にした方が、
「友情」とか「愛」というテーマを強く訴えられる。

またこの映画は「賢者の石」をめぐる冒険なのだが、そのシーンがあまりに少なすぎる。
2時間半もの長時間のなかで、その冒険に費やされるのは40分程度。
それ以外の無意味な前ふりがあまりに多すぎる。
魔法使いの学校の様子を描いているのだが、それもどうもぱっとしない。

<2>
さらに納得がいかないのがエンディングだ。
3人が協力して賢者の石を取り返したという偉大なことが、4つの寮の得点争いに加えられ、
3人がいるチームが「優勝」するという非常に世俗的な名誉で終わってしまうことだ。
彼らはもっとすごいことを成し遂げたのではないか?
それが単なる学校の寮の1年間の得点争いで優勝するという情けない結末に、僕はどっと疲れが押し寄せた。
「こんな情けない結末を見るために、1800円払って1時間半待って2時間半拘束されたのか…」

もちろんこれをテーマにすることもできる。
優秀な魔法使いが集まるチームと、主人公のいるチームとが優勝争いを競い合うというテーマにして、
個々人の能力ではなく、集団で助けあったチームが優勝したという風に、物語を進めていくことも可能だが、
そういったことにはなっていなかったはずだ。

つまりこうしてテーマがバラバラになったまま、すべてやたらめったら詰めこまれているからいけないのだ。
たかだか2時間半の限られた映画の中で、いろいろ詰め込もうとしたのが間違いだ。
もっとテーマを絞り込んで、この物語を描き出せば実におもしろいものになったのに。
これは監督ないし映画用に脚本を書いたものの、明らかな力量不足が露呈した作品だ。

それにしてもこんな映画が大ヒットしている日本の大衆とは、
いかにマスコミに踊らされていて、自分の目でいいものと悪いものを判断できる能力がないことがわかる。
もう何年も前から言っていることだが、ほんと日本の大衆は自分で判断する能力に欠ける。

「赤信号、みんなで渡ればこわくない」

だからこそ、明らかに負けるとわかっている太平洋戦争を起こしたりするのだ。
ほんとこの国は危険だな。
一人のカリスマに、簡単に操作される、ファシズム的温床を内包している国だな。
いつか愚かなる過ちを、世界に繰り返さねばいいが…。


by kasakoblog | 2001-12-25 20:55 | 書評・映画評
2001年 12月 10日
「海峡の光」辻仁成著
最近はまっているのが辻仁成である。
今話題の映画「冷静と情熱のあいだ」で江國香織と共著した作家だ。
その本を読んだのがきっかけで、他の作品も読んでみようと思った。

実はあまり辻仁成にはいいイメージを持っていなかった。
ロックバンドをする傍らで作家になったという経歴と、ちゃらちゃらしたその外見から、
実力はないがただ人気と話題のある作家なのだろうと思っていたからだ。

しかししかし、この「海峡の光」を読んでびっくり!
文章もうまいしテーマもおもしろいし、展開もおもしろい。
この本が芥川賞受賞作品だと読んだ後に知ったが、納得できる完成度。
それ以後、辻君の作品を次々と読んでいる。
「冷静と情熱のあいだ」のような、若い女性受けを狙った軽いノリの恋愛小説とは全く別人と思える、
完成度の高いこの作品を紹介したい。

函館の刑務所を舞台。
刑務官と犯罪者が、小学生時代のいじめられた子といじめた子の関係だったという18年ぶりの偶然の再会から、
その人間の本性ともいうべき歪められた心理を追っていく物語。
何か起きそうで何事も起こらない、そんな日々の緊張感が、
作り話的な小説っぽくなく、リアリティがあり、人間の内に潜む日常を見事に描き出した作品だ。
ただ最後に出所する時に刑務間を殴ってしまうという部分だけは安直すぎた感は残ったが、
全体としてのストーリー展開は実に緊張に満ち溢れて良かった。

監視する刑務官は、一生刑務所からは出られず、社会の模範として常に社会から監視されるという皮肉。
「受刑者たちが自分よりも広い世界で生きてきたような気がする」
刑務所という実に狭い社会で、一元的な社会規範を押しつける刑務官という仕事。
「彼らの狂気じみた人生の道程を聞くたびに、常識の中でしか世界を把握できない自分が、
彼らの何十分の一も世間に媚びた存在にしか思えないのはなぜなのか」
そんな社会への閉塞を感じる刑務官は、この街から抜け出したいという焦燥にかられる。

「私は一生刑務所の囲いの中で生きなければならないのか。
どこかに逃げるのではなく、この限られた街の中でパラレルに存在する、もう一つ別の世界を築きあげるのだ」
-そんな思いが水商売との女性との出会いとなる。

函館の青函連絡船の廃航。
連絡船から刑務官への転職。
かつて恋人だった女性の船での自殺。
様々な問題の種子はばらまかれていく、その緊張をはらんだストーリーが、先へ先へと読者を誘う。
160ページもの短編だが、実に人間模様をよく描き出した作品であるといえる。


by kasakoblog | 2001-12-10 21:05 | 書評・映画評
2001年 11月 30日
「藤原悪魔」藤原新也著
1998年、正月。あまりに退屈で気が狂いそうなので書店に行ってみると、
新刊コーナーにひときわ目を引く本があった。
真っ黒なカバーにでかでかとおどる「藤原悪魔」という不吉なタイトル。
それを嘲笑するかのような、太いまゆげをつけたおまぬけな犬の写真。
一体これはいかなる本なのだろうか?
表紙のインパクトはどの本にも負けなかった。
この本の作者が、僕が大好きな藤原新也であったことに驚いた。

本書は雑誌で連載されたエッセイの寄せ集め集。
大きく3種類に分けられる。
一つは、O-157や猿岩石、麻原彰晃や酒鬼薔薇聖斗事件、
「悪魔」と子供の名前につけようとして問題になった事件など、
当時の時事問題を取り上げ、独特な藤原社会学的見地から斬ったもの。
一つは、「2000年藤原現在シリーズ」と題された、2000年に毎月本を出版した写真集や本の取材時の話。
(バリ島や富士山、鉄輪など)
そしてもう一つは、猫の写真とエッセイである。

暗くなりがちな時事問題のエッセイだけでなく、取材した話や猫の写真と話を交えるあたり、
東京漂流以降に見られる藤原新也のバランス感覚を感じる。
殺伐とした現代社会に、写真家としての彼が、できる限りポジティブなものを見出そうとした結果が、
猫のかわいらしい写真群であり、表紙にもなっている「マユゲ犬」ではなかろうか。
いろいろな話題を緩急織り交ぜた、読み楽しいエッセイ集だ。

僕が個人的にこの本で強く影響を受けたエッセイが2つある。
一つは「山手線一周手相マラソン」。
タイトルのごとく、山手線の各駅で手相見にみてもらうと一体どんな結果が出るかという、
くだらななすぎて実におもしろい企画である。
これに影響され、僕ははじめて街角の占い師に占ってもらうことになる。
(これが実によくあたっていた)

そしてもう一つが「エンパイヤステートビル八十六階の老女」の序文のこの文章である。

半年も旅をすればひょっとすると自分の人生すら変わるかもしれないわけだが、
このような人生にかかわる行事が、ただバイトを探すのが難しいといった理由だけで、
キャンセルされるというのはさみしい。

これを読んだ3日後、僕は会社を辞めて旅に出る計画を練り始めた。
人生は一度しかない。いつどんな形で不意に死が訪れるかもわからない。
現代社会は、一寸先は闇である。
ならば悔いのない人生を送りたい。やりたいことがあるならやったほうがいい。
やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいい。
そんな思いを後押ししてくれた言葉だった。

藤原新也さん、ありがとう。
僕はこの箇所を何度となく読み、僕は自分の旅への決断を揺るぎないものにしていった。
この藤原悪魔は、僕にとって、旅へと誘う悪魔的なささやきの大切な書となった。


by kasakoblog | 2001-11-30 20:51 | 書評・映画評
2001年 11月 27日
神の子どもたちはみな踊る
・総評
「地震のあとで」というタイトルで連載された、阪神大震災をテーマにした短編6作。
地震をテーマといっても、深刻さや重さが漂うテーマ設定ではなく、
日常生活における人間の感情レベルでの地震に対するスタンスを捉えている。
むしろ地震をテーマにしているというより、短編の話に地震を絡めただけという感じ。
こういったアプローチはある意味では非常に斬新かもしれない。

・UFOが釧路に降りる
突如、離婚を宣告された夫。妻はずっと地震報道に釘づけになっていた。
それがあたかも離婚の原因かのように。
地震は、それがたとえメディアを通していたとしても、現代人の価値観を大きく揺さぶった事件だった。
「空気のかたまり」「中身がない」と言われて置いて行かれた夫は、突如の離婚に精神的ダメージを受ける。
その傷を癒すために出掛けた北海道で、一人の女性と出会う。

「思うんだけど、今の小村さんに必要なのは、気分をさっぱり切り替えて、もっと素直に人生を楽しむことよ」
この女性のセリフは、地震で崩壊した都市の風景と、結婚生活の崩壊が重なる小村に、
そして今の日本人に対する一つのメッセージではないだろうか。

・アイロンのある風景
海辺で焚き火をする謎の男。神戸に別れた家族を置いてきた。
地震が起きて動揺はしているが、連絡はとらない。
ふと人生の空しさみたいなものが一挙に押し寄せてくる。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える」
焚き火をするためにここにいるという男。
そして漠然とだが人生に虚しさを感じている女性と焚き火フレンドになる。

「私ってからっぽなんだよ」
「どうしたらいいの?」
「そやなあ…、どや。今から俺と一緒に死ぬか?」
「いいよ。死んでも」
-現代人の心に常にまとわりついている虚しさが、大地震を契機に決定的になったことを物語っている。

・神の子どもたちはみな踊る
地震とはほとんど関係ない話だが、現代的な宗教をテーマにした短編。
不遇に生まれた子供を女手一つで育ててこられたのは「宗教」との出会いがあったから。
「母は教団でいちばん布教の成績がよかった」という一文などは現代宗教を端的に表している。
そんな宗教でも母を救っていることには間違いなかった。

母の生き方は宗教を選び、息子は信仰を捨てた。それは当然といえば当然だった。
人それぞれに宗教という方便が意味をなす場合となさない場合とがあるからだ。
そんな息子が出生の秘密を探って、しかしその手掛かりが消えてしまった時、自分のその行為の意味を知る。
暗闇を追いまわしてさらに深い闇に落ち込んだのだと。
これ以上ない闇までおちたとき、はじめて彼の目の前に晴れ渡った心が広がった。
人間の心は石ではないと。

「神が人を試せるのなら、どうして人が神を試してはいけないのだろうか?」
誰もいない野球場で「神様」とつぶやくラストシーンが、物語の奥行きを感じる。

・タイランド
村上春樹の小説で海外が舞台になっているのをはじめて読んだ気がした。しかもヨーロッパではなくアジア。
タイに行っている間に神戸の地震を聞いたさつきは、
別れた夫が神戸に住んでいるので地震に対してこう感想を吐露している。

「あの男が重くて固い何かの下敷きになって、ぺしゃんこにつぶれていればいいのに。
それこそが私が長いあいだ望んできたことなのだ」

地震によって最愛の人を無くした悲しさばかりが取り上げられる中で、
中にはこう思っている人もいるのだという話を書いたのはおもしろい。
しかし、さつきの憎しみからは何も生まれないことを知った、
タイでの車のドライバーが小さな村の占い師のところに連れて行く。

「あなたの身体の中には石が入っている」
長い間、胸に抱えて生きてきた重く堅い石。
それを捨てて新たなに生きなければ、死んで焼かれた時に石だけが残る。

「生きることと死ぬこととは等価なことなのです」
生き方と死に方。過去の囚われ人。
人の生き方を示唆する、タイという仕掛けをうまく利用した小説。

・かえるくん、東京を救う
東京に地震が起きるという情報をもとに、かえるくんと銀行員がともにみみずくんと戦うという話。
ともに戦う当日に銀行員が銃で撃たれて重体になるという話の意外な展開はおもしろかった。
かえるくんの命を犠牲にした戦いによって東京は地震を防ぐのだが、
カタストロフィー願望のある僕もしくは多くの今の日本人にとっては、
東京が救われたという話より、地震が起こってしまったという話の方がよかったのではないかと思える。

・蜂蜜パイ
村上春樹の典型的小説。物書きの主人公は、仕事は着実にこなすが、派手さはなく、
特定の女性を見つけることができず、毎日の生活を過ごしている。
そこに学生時代の三角関係の話が登場し、今やっと自分の意志を表明することができ結ばれる。
よくこの手の小説を書いている。まるで自分の姿のありのままかのように。

子供へのお話という仕掛けを作って、そこに現実の人生と重ね合わせていく物語はおもしろい。
地震については全く関係の無い話。
(地震おじさんなんてものが出てくるが、この話には無用と思われる)


by kasakoblog | 2001-11-27 20:54 | 書評・映画評
2001年 11月 18日
書評サイトにリンク!
つい先日、突然、こんなメールが届いた。

サイト“かさこワールド”管理者:かさこ様
初めて、連絡させていただきます。
私は、統合書評サイト“Ken”を運営管理しているKKと申します。
当サイトでは、新刊書評ガイドを含むさまざまな書籍の書評とのリンクを紹介しているサイトです。
既刊書評ガイド>作家研究>村上春樹の書評リンクに『辺境・近境』を取り上げた際に
貴サイトの書評・感想文を発見し、リンクさせていただきました。

トラベルライターかさこのホームページとして、旅を中心にしているものの、
それだけに限らず、いろんな切り口のコーナーを充実させていき、
多くの人に興味を持ってもらえるようなホームページにしたいと拡充していた。
ラーメン探訪やシャーロックホームズの部屋、書評ランキングなどがそうだ。

それが実ってか、インターネットの情報の渦の中で、
KKさんがたまたま僕の書評を見つけて、リンクをするという話になったのだ。
インターネットが革命的なのは、今までのメディアと違って、
単に情報の受けてだけでなく、簡単に自らが情報の発信者になれることだ。
そのインターネットの特性を生かすことによって、いろんな可能性が広がっていけばなあというのが、
僕がわざわざ金にもならないホームページに心血を注いでいる(それはちょっと言い過ぎか)理由である。

インターネットによって情報発信者同士のネットワークができていく。
このネットワーク社会こそ、現実社会にも応用すべきシステムである。
単に一方的な情報発信者(マスコミ・政府)のみが大衆(情報受信者)をコントロールするのではなく、
個々人がそれぞれの考えを持って互いに社会の主体者同士として社会を作り上げていく。
それが21世紀の自立した個人主義社会であると思う。

そうなればきっと多くの人が幸せになれるのではないかと思う。
今の日本社会のように一般大衆が情報の受信者でしかないから、
狂牛病騒ぎやらテロ騒ぎで、一貫した態度をとれず、右往左往する姿が見られるのだ。
自ら情報を発信し、発信者同士が互いに協力し合い補い合って一つのコミュニティを作り上げていく。
その模擬演習がこのインターネットの大いなる意義ではないだろうか。

なんだか随分と話がそれたが、統合書評サイト「Ken」にかさこワールドの書評コーナーが紹介されたとのことでした。
これを契機に、書評コーナーをこれまで以上に充実させていきたいと思います。
ということで本日ランキングに20冊追加し、104冊となりました。


by kasakoblog | 2001-11-18 20:07 | 書評・映画評
2001年 11月 12日
「クラウディ」辻仁成著
11/10・11のつぶやきかさこで紹介した「世界は幻じゃない」ででてきた、
アメリカに亡命したソ連のペレンコ中尉。
彼をモチーフにして書かれた小説が「クラウディ」だ。
亡命当時、函館に緊急着陸したペレンコ中尉の飛行機を著者が見たことが、 この小説を書いたきっかけとなっている。

高校生だった主人公は、生きていることの虚しさを感じ、自殺を図る。
しかしその時、屋上の上に飛び立った飛行機が、亡命したペレンコ中尉のものだった。
「戦争だ」とはじめ思ったが、亡命だった。

~亡命~
その一言が、彼に生きる道を与えたものの、 その後の彼の人生は、単調なものに過ぎなかった。
30才を前にした彼に、周囲の人間は、人生を変えるためにそれぞれの亡命劇を企てる。
取り残された彼は、彼女だけはひきとめようとして話は終わる。
彼が亡命劇を行わないまま、この先どうなるかはわからないところで終わりとなる。

前半は実におもしろかった。
高校生の時にペレンコを見た話。そして自殺しようとした話などは、
自分の実体験をもとにしているせいか、非常にリアリティがあって興味深い。
そして今の単調な生活の中で、次々と登場するユニークなキャラクターが物語の幅を広げていく。

しかし後半になると、ストーリー展開がいい加減になる。
なんだか自爆自棄的でストーリーを急展開させたいのはわかるが、
唐突すぎるというか、話が飛びすぎというか、身に迫ってくるリアリティがないのだ。
亡命というテーマもおもしろい。登場人物も魅力的。
あとは後半のストーリー展開さえよければなという感じだった。

亡命ーそれは逃げて生きる道もあるんだということの一つの方法だ。
がんじがらめになって、切羽詰ってどうしようもなくなってしまった時に、
短絡的に死を考えたり、そのまま我慢して苦しんで生きていくこと以外にも、
生きる選択肢があるのだということを提示している。

もちろん亡命したからといって、今よりよい人生が送れるとは限らない。
でも逃げることも積極的な選択になりうる場合もあるのだ。
しかし主人公は亡命しない。 亡命しないこともまた一つの前向きな選択肢ではある。

あなたに亡命する地はありますか?


by kasakoblog | 2001-11-12 20:12 | 書評・映画評
2001年 11月 10日
「世界は幻なんかじゃない」辻仁成著
<1>
写真は実にいいですよ。雰囲気がすごく出ていて。
文章を書いた人が撮っているから、写真がうまく文章と溶け込んでいるのでしょう。
別にカメラマンをつければ、写真の質はあがるのでしょうが、文章との調和が薄れてしまう。

「自由とは何か」をテーマにしたこの本。
妻と子供をおいてニューヨークで一人暮らしをはじめた著者が、
20年前、ソ連軍機を携え家族を置き去りにしてアメリカに亡命した男ペレンコに会い、そしてインタビューする。
アメリカ大陸を横断する鉄道に乗って旅するテレビの企画のついでに、
その最終地点で彼にインタビューすることになったのだ。

大陸横断鉄道で各所をまわりながら、「アメリカとは一体どんな国なのか」ということを、
否応なく考えさせられる。アメリカを考えることが、自由を考えることにもなる。
家族を捨ててまで自由を求めて亡命したペレンコの思いを、必死になって聞き出そうとするが、
著者の試みはことごとく裏切られる。
亡命から20年の歳月が過ぎた今では、彼はもうすっかりアメリカ人として普通の生活を送っていた。

著者が聞き出そうとする過去の思い。
しかし彼が答えるのは、今の自分のビジネスの宣伝ばかりだった。
家族を捨ててまで自由を求めた結果をどう思っているのか、聞きだすことはできなかった。
敵国から来たソ連人は、アメリカという世界の超実験的多民族幻想国家の中で、機会を与えられ自由を得たのだ。
ソ連から来た彼の「アメリカ評」はアメリカという国を実に端的に言い表していた。

<2>
この本はある意味では失敗だった。
自由・民主主義を標榜するアメリカとはいかなる国家なのかをテーマにし、
著者が家族を日本においてまでニューヨークで生活しているその答えを、
ソ連からアメリカに魅せられて亡命したペレンコのインタビューで代弁させるという、
そのはっきりした構成が曖昧になっていたからだ。
特に予想に反してインタビューでペレンコが家族の思いをあまり語らなかったことで、
この本のテーマは完全に失敗してしまった。

しかし「アメリカとはいかなる国家か?」を主題にすれば、
著者がアメリカに一人暮らししていることも、ペレンコがアメリカに亡命したことも、
うまく言い表せたのではないか。
ペレンコの予想に反したインタビューで主題をうまく代えれば、
本としての構成はしっかりしたのではないだろうか。
ただ何にせよ、著者がなぜ家族を捨ててアメリカで暮らしているかという思いを、
アメリカを旅する中でもっと盛り込むべきだったように思う。

そうすれば、かつて藤原新也が全東洋をまわったあとに辿りついた結論として、
今の世界に圧倒的な影響力を施しているアメリカを見、
そしてその実態をまざまざと写真と文章によって見せつけたように、
この書も「自由」や「民主主義」といった価値を世界に広めようとしている
アメリカとはいかなる国かを知る書になりえたのではないだろうか。

僕もうすうすは感じている。
この世をあらぬ方向に持っていっている、
極端な価値観で世界を席巻しようとしている源がアメリカにあることを。
そのアメリカを、僕もいつか見に行かなければならないだろう。


by kasakoblog | 2001-11-10 20:12 | 書評・映画評
2001年 10月 28日
地雷を踏んだらサヨウナラ
1972年、カンボジアで戦場カメラマンとして活動していた一ノ瀬泰造の物語を映画化したもの。
当時、聖域として足を踏み入れることのできなかったアンコールワット遺跡をカメラに収めようとし、
享年26歳の若さで亡くなった。

映像のデキは最悪だが、ストーリーはおもしろいし、考えさせられることが多い作品ではある。
演技や全体的なシーンが嘘っぽく、迫真に迫るような臨場感が全くないのだ。
まあ、それはさておき。

戦場カメラマンというのは本当にハイエナだよな。
無名のカメラマンたちが、戦場という危険に裏打ちされた「特ダネ」を求めて、
戦争をやっているところで、殺される人々を写真に収めていく。
その写真が鮮烈で悲惨なほど、新聞社に高く売れるのだから。

彼がお世話になっているホテルの子供が殺された時、
彼は悲しみと同時に「特ダネ」感がよぎり、死んだ子供にカメラを向けるか迷うシーンがある。
その気持ちはほんとよくわかる。
別に僕は戦場カメラマンではないが、海外旅行をしていると、それに似た場面に出会うことがある。
地元の人々と親しくなったからこそ出会えた場面に、カメラを持ち出すことは、
写真としてはいいものが撮れるのにと思いつつも、やっぱりそこで撮るのはためらわれる。
しかしもし僕が「トラベルライター」としてお金をもらってやっていくとするなら、
それは「仕事」として撮るべきではないかという問題にぶつかるのだ。

同朋の戦場カメラマンの死や、親しくなった人々の死に出会う度に、
自分のやっていることと、そしてこの戦争が一体何なのかを否応なく考えさせられる。
些細な権力や領地争いのために、互いに傷つけ合い殺し合い、憎しみ合う人間たち。
次第に戦争が目的化し、何のために自分が戦っているのかわからなくなる。
ただ上の命令に逆らうことは許されないので、敵国の兵士を残虐に殺す。

戦争の中で中立の立場にあるカメラマンを主人公にすることで、
戦争の無意味さがより一層際立ってくるのだ。

つい先日、日本のフリーランスのカメラマンがタリバンに捕まったとのニュースが流れた。
戦場に群がるハイエナたちが、金と名誉と栄光を求めて、危険な戦場に乗り出していく。
もちろんそこには崇高な信念や高尚なテーマを持って望んでいる人も多いだろうし、
戦争にプレス(マスコミ)が全く入らないのも、
世界に何が起こっているかという事実を中立的に伝えるという意味では、考えられない。

しかし湾岸戦争時の石油にまみれた水鳥の映像がやらせだったように、
現代社会では資本主義という観点から、事実を伝えることより、
センセーショナルな映像や写真で「売れる」ものを撮ることが、
残念ながら意識的にせよ、無意識的にせよ発生してしまうのだ。

タリバンに機関銃を持ってポーズを決めてもらう写真を撮るのにいくら払っただとか、
お金を払ってお願いすると、注文通りのポーズを撮ってくれるということがあるらしい。

戦争と報道。
ブッシュは「新しい戦争」だというが、30年前の時代と、戦争と報道の問題は何ら変わっていない。


by kasakoblog | 2001-10-28 18:52 | 書評・映画評